3種類の所得再分配論によるベーシックインカム思想の原型:原田泰氏著『ベーシック・インカム』より
リフレ派のベーシックインカム論として話題にもなった、日銀政策委員会のメンバーも務めた原田泰氏による『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』(2015/2刊)を参考にして、BIを論じる上で主命題になっている財源論における「所得の再分配」について確認したいと思います
「国家が人々の所得を直接保障すべきだという考え方、国家がベーシック・インカム(BI、基礎的所得)を給付すべきだという発想を実現するためには、ある人々の所得に課税して、他の人々にそれを分配する必要がある。」
原田氏は、このベーシックな考え方を通じて、過去提示されてきた以下の3種類の所得分配論を比較します。
19世紀ベンサム、シジウィックによる功利主義所得再分配ベーシックインカム論
「快楽や幸福をもたらす行為が善である」という功利主義を提起し、「最大多数の最大幸福」を主張したことで知られるジェレム・ベンサム(1748~1832)。
彼を受けて、ヘンリー・シジウィック(1738~1900)は
「社会に帰属するすべての個人の満足を総計した正味残高が最大となるよう、主要な制度が編成されている場合に、当該の社会は正しく秩序だっており、したがって正義にかなっている。」としました。
これだけでは、高所得者の所得を低所得者に配分することの合理性は観念的であり、断定はできないと思うのですが、要するに、全体が幸福になる上での方策として、「より高い所得の人にはより高い税率で課税することを公平とする、すなわち累進課税の正当性が、政府の権限として与えられる」ことになります。
この考え方は「豊かな人の税金負担は、それが同額であっても、貧しい人の負担感=効用の削減度より小さい」という「限界効用低減の法則」に基づき、「効用の削減度が同じになるように、より多く負担すべき」となります。
しかし、累進課税が高すぎれば税を負担する側の不満感が高まり、労働やリスクを避け始めることで所得が減ることになる。
あるいは、思いもかけぬ分配を受けた貧しい人たちは、勤労意欲を失くして所得を減少させる。
こうしたリスクも、現在のBI議論でも示される同様の問題と同一のものです。
ということで、功利主義からの所得再分配は、それほど大きなものにはならない、と原田氏は結んでいます。
次に、リベラリズムの所得再分配理論についてです。
20世紀リベラリズムによるベーシックインカム所得再分配論
リベラリズムは、「社会の制度は公正であるべきだ」という前提から議論を始める、と原田氏は言います。
この前提から「人々がこの世に生を得て生まれてくる前に集まって、どのような社会が公正であるかを議論する」思考実験を行ったハーバード大学の哲学者ジョン・ロールズ(1921~2002)。
出生後の世界は「無知のヴェール」に包まれているとしてのことになります。
彼は、「この原初状態では、人々は自分が最下層に属する可能性について考える。ゆえに最下層の人々の効用を高めることに関心を持つことから、公共政策は、社会の中で最下層の人々の効用を高めることを目的とすべき」とします。
原田氏が言っているように「公正」という言葉と意味の多義性・曖昧性は、こうした議論において、必ず限界があると思うのですが。
社会全体の効用の最大化をめざす功利主義とは対極的に、最下層の人々の効用の最大化、すなわち「ミニマムのマックス化」という「マクシミン原則」を主張するロールズの『正義論』。
これはまさに、最下層の人々へのより大きな再分配を正当化するものです。
しかしロールズ自身、課税の増大化が、貯蓄(投資)や経済効率の低下を招き、長期的にはミニマムの所得水準自体を引き下げてしまうことを認めているのですが。
彼が評価される要因として原田氏は、経済学者が、所得再分配を社会保険と考えることができ、その意義を経済学的に分析することを容易にしたことを上げています。
リベラリズムとは
リベラリズムとは、現実主義と並ぶ国際関係論の主要な学派のひとつ。
多元主義や理想主義、国際協調主義とも呼ばれる。
リベラルは、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味し、政治思想では主として、自由主義(リベラリズム)の立場。自由主義者(リベラリスト)、政治的に穏健な革新をめざす立場。
または、1930年代以降の米国から広がった用法で、社会的公正や多様性を重視する自由主義。社会自由主義。
※Wikipedia参考
20世紀リバタリアンによるベーシックインカム所得再分配論
政府が国民全体をより幸せにするために、社会をより公正なものにするために、豊かな人々から所得を得て、それを貧しい人々に分配する権限をもっていると考える。
功利主義、リベラルの2つに共通なこの考えに対して、反対に政府はそのような権限はもっていないと考えるのが「リバタリアン」と原田氏。
ハーバード大の哲学者ロバート・ノージック(1938~2002)は、『アナーキー・国家・ユートピア ー 国家の正当性とその限界』等で、「所得を得るのは個人であり、社会ではないのだから、社会はそもそも所得の再分配の理論を見出すことはない。」
「所得を得る過程が正しいものであれば、結果として得られた所得は正しいのであって、結果として成立した所得分布状況がいくら不平等であっても、それは正しい」としています。
「過去の不正義が大きいのであれば匡正することは許される」としてはいますが。
先の「公正」の曖昧さ同様「不正義」も曖昧で、私には、リバタリアンの、ある種の独善性=排他性が気になってしかたがありません。
最も懸念するのがその「自由」の定義と範囲・対象であり、それを規定する法・規範の有無です。
リバタリアンとは
リバタリアンとは、リバタリアニズムを主張する人。
リバタリアニズムとは、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する考え方で、自由主義上の政治思想・政治哲学の一つの立場。
新自由主義が経済的な自由を重視するのに対し、リバタリアニズムは個人的な自由をも重んじる。他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する。
リバタリアニズムの訳は、完全自由主義、自由人主義、自由至上主義、自由意志主義など。
※Wikipedia 参考
所得再分配論からベーシックインカムは逃れられないか
原田氏は、前者の2つのBI思想では、結局所得再分配の金額は決められないとし、リバタリアンでは論外のことです。
そして、こうも言っています。
「「所得再分配の思想」と「BIの思想」とは別のものであり、BIは基礎的所得を保障するものだが、その財源として、より高い人からより多く取る必要はない。」
「BIを給付するためには、当然に富の再分配をともなうが、その程度は、既存の富の分布がどれだけ正当と思われているかどうかにも依存する。」
どう考えても、BIは富・所得の再分配なしには実現不可能。
そんな厳とした高く、しかし見えない壁が存在するかのようです。
累進課税や再分配の程度はどのくらいが適切かの結論もなかなか出ません。
まあ、実は、原田氏による3つの論者グループのだれもベーシックインカムにおいて、と論じてはいません。
BI理論を支える思想と認識すべきということになるでしょうか。
私はその困難さからBI論が一つに集約されないこと、実現しないことを「財源論の罠」と呼んでいます。
ゆえに、もう所得再分配論から離れて、新たな方法を考えるべきとし、ベーシック・ペンションを提案しているのです。
しかし、再分配論以外の思想や取り組みの歴史も確認していくことも大切と思っており、引き続き見ていきます。
こちらも参考に
◆ リフレ派原田泰氏2015年提案ベーシックインカム給付額と財源試算:月額7万円、年間総額96兆3千億円(2021/2/3)
◆ 鈴木亘学習院大学教授による、財源面からの2021年ベーシックインカム試案(2021/2/4)
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