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政治的なるものと日常生活における個人と社会(2020/10/21)

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『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-2

 「倉持麟太郎氏著『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方」と題したシリーズを始めました。
 そのプロローグとしての
『リベラルの敵はリベラルにあり』から考える、個人の生き方と社会の在り方-1
で、現在の「リベラルらしきものの正体」として、同氏のリベラルの現状認識をお借りして簡単に述べました。
 今回2回目から本文の各章毎に、気になった記述を少しずつ紹介し、テーマである「個人の生き方と社会の在り方」について、思いを巡らせていきます。

<第1章 君たちは「アイデンティティ」を知っているか>から-1

政治的なるものの正体

 保守層、子育て世代、社会的弱者、若者、無党派、非正規、フェミニスト、戦争を知らない世代、ネオコン、反緊縮派/緊縮派、リベラル
 これらは皆、アイデンティティを表現したものであり、他にも多種多様にある。
 そんな指摘から、本文は始まります。

 ニュースなどでこれらの言葉を目にし、耳にする時
 自分のことだと感じて身を乗り出すことは決して多くなく、受け手の大半にとって、その主語に「自分が含まれている」のか「含まれていない」のか判然としない。本当は自分が含まれているにも拘らず、他人事として受け止めることも多い。そして我々は、そのニュースと自分との距離を測らぬままに、新聞をめくり、リモコンの操作でチャンネルを変え、スマホの画面をスクロールして、ニュウスを消化していく。


 まあ、これが「政治的なるもの」との接点であり、それぞれのどれかに該当する表現、すなわち、「アイデンティティらしきもの」との個人個人との出会いでもあると言えるでしょうか。
 意識してもしなくても、認識してもしなくても、です。
 なので、正体と呼べるモノ、コトではないかもしれません。

政治的なるものと日常生活との関係

 この「政治的なるもの」を認識し、「アイデンティらしきもの」も意識している「意識高い系」は、政治参加のインセンティブが高い、と著者は言います。
 先に例示された用語で考えるとこんな例になります。
・「子育て世代」は保活や待機児童問題に直面
・「若者」の意識高い系として、地球温暖化防止デモに参加
・「フェミニスト」として、#me too に賛同しデモにも参加
・「保守層」として、憲法改正の署名に一筆
・「護憲派」として、護憲の署名活動に参加
 このような、「政治的なるもの」と一体化したアイデンティティの器に、個人としての自分が「動員」され、政治と個人のウィンウィンの関係がなりたって行く、と言います。
 必ずウィンウィンの関係になるのかは疑問ですが、こうした何かしらの直接間接の行動を起こさなくても、意識の上では何かしらの政治的なるものを対象として、賛同あるいは反対の意志・意識を持つことも、その関係性の中に含まれるでしょう。 
 しかし、一方で、著者は、政治に動員なんかされていないと思う人についても考えます。

政治的なものに関わらない、という関わり方

 政治的なるものへの「動員」とは、政治的なるものへ「参加させる」ことだけを意味するのではなく、「参加させない」という「消極的動員」も含まれると言います。
 言い換えると「味方にならない戦力は、せめて敵方の戦力にならないように、ゲームに参加させない」とします。
 私が時々使う「不作為」の作為、「想定外」という「想定内」みたいなものです。
 これが、「政治的なるもの」による合理的な戦略であり、それは、ご丁寧にも、「ニヒリズム」(無党派層ないし政治的無関心)というアイデンティティの器も用意するのです。
 すなわち、政治的な行動をしないというルートへの「動員」を為しており、しかもこの「動員数」は相当多い、とします。
 政治的なるものが、政権与党あるいは野党により生み出されてわけではないのですが、「社会的なるもの」の多くが、「政治的なるもの」に転じ、個人に直接・間接に関わってきます。
 それは、社会的な個人としては、やむを得ないことであり、好むと好まざるとに拘らず受け入れることになります。
 ただ、当然、その意識の有無や程度・内容、行動の有無、行動形態などに違いが生じるわけです。
これが、「動員のされ方」の違いというわけです。

政治的なるものへのこれからの対し方

 そして、こう繋ぎます。

 こうした「政治的なるもの」による個人の「動員」には、共通の致命的な問題がある
 消極であれ積極であれ、この既存のルートに乗せられているうちは、選挙・政局闘争にひっぱられて、憲法、税と社会保障、あるいは働き方改革の問題など、現実的な政治課題はほとんど1ミリも動かないということだ。

 こうして、以下の決意を示すのです。

 この閉塞状況に極めて深刻な危機感を持っている。だからこそ、政治家や政党や一部のメディアなどが形成する「政治的なるもの」を一掃し、本当の「政治」をスタートさせるための打開策を提示したい。
 そのためには、「政治的なるもの」と対峙させられている「個人」の本質を考察する作業が欠かせない。
 民主主義体制のもとで、本当の「政治」をスタートさせる主語は「個人」でしかありえないからだ。

 まさに、信用・信頼できない政治すなわち内閣、与野党すべての政党、そしてマスゴミとも呼ばれているマスコミ等メディアがはびこる現代社会にどう向かい合うかの起点となる確認、認識と言えるでしょうか。
 厳然と日常生活に存在し、改善・解決の方策・方向が示されることがない、むしろひどくなる一方の様々な社会問題の解決には、それらを「政治的なるもの」にとどめることなく、「政治課題」そのものにする必要があります。
 しかし、その前にある政治及び立法・行政、そして司法各面において、多くの劣化した諸制度・社会システムの改革の必要性への認識は、非常に悲観すべき状況にあり、それが常態化しています。

政治的なるものの政治(課題)化

 そのため、その状況を招いている遠因であり、真因でもある社会的存在である「個人」の望ましい在り方を考え直し、再構築すべきと考えています。
 その目的は、「政治的なるもの」の「政治化」です。
 そして、個々の政治化課題の目的・目標を定めるとともに、その実現をめざす方法・方策も併せて具体化することも目標に含むことになります。
 そこで留意すべきは、個々の政治化課題は、その多くが繋がり合っており、その実現には、相当の努力・忍耐、そして時間が必要ということを、しっかり胸に刻んでいく必要があることです。
 一つの世代だけで完成・完結するものは少なく、多くは、世代を継承して、取り組むべき課題でしょう。
 そのために、基本となる方針・方策は、人と社会において普遍性をもつものであるべきです。
 その普遍的なるものの合意形成は、個人個人とさまざまな種類社会、多様な社会が共有すべき課題です。

 私が運営するこのWebサイトは、2050年の望ましい社会を創造するための初提案を行うことが基本の基本。
 そしてその中で、当面は、日本独自かつ普遍性のあるベーシックインカムの実現のための問題提起と具体策の提案が中心となります。
 その日本型ベーシックインカム導入を政治(的)課題とし、いずれ認知され、政治・立法の場に持ち込まれ、法制化され行政に運営と管理が移行する。
 その実現のために、個人と様々な社会が、どう関係し、どう歩調を合わせて成し遂げていくのか。
 そのためには、民主主義、自由主義、資本主義などの望ましい在り方も「政治的なるもの」に包摂されることになるという決意も、改めて行う必要があるでしょう。

 次回は、本来順序が逆だったかもしれない「アイデンティティ」について考えます。

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本稿は、WEBサイト https://2050society.com 2020年10月21日投稿記事 2050society.com/?p=5503 を転載したものです。
当ベーシックインカム、ベーシック・ペンション専用サイト http://basicpension.jp は2021年1月1日に開設しました。
しかし、2020年から上記WEBサイトで、ベーシックインカムに関する考察と記事投稿を行っていました。
そこで、同年中のベーシックインカム及び同年12月から用い始めたベーシック・ペンションに関するすべての記事を、当サイトに、実際の投稿日扱いで、2023年3月から転載作業を開始。
数日間かけて、不要部分の削除を含め一部修正を加えて、転載と公開を行うこととしました。
なお、現記事中には相当数の画像を挿入していますが、当転載記事では、必要な資料画像のみそのまま活用し、他は削除しています。
原記事は、上記リンクから確認頂けます。

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