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2020・21年考察

日本国民すべてに、唯一の、真の平等を実現・保障するベーシック・ペンション

先般投稿した
憲法第三章基本的人権と自由・平等に基づき支給されるベーシック・ペンション(2021/2/21)
で、ベーシック・ペンションが、憲法に基づいて支給されるものと述べました。
具体的には、憲法で規定する基本的人権の中での「自由」と「平等」を保障し、その実現を支援する制度であるというものです。


世帯ではなく個人に、平等に支給されるベーシック・ペンション


その根拠となる憲法の該当条文を以下に引用しました。

ベーシック・ペンションは、世帯単位ではなく、個人に平等に支給されます。

個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

家族関係における個人の尊厳と両性の平等
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

しかし、こうした規定にも拘らず、そこで掲げた内容は、果たして実現できているでしょうか。


格差が拡大する現代社会。
その格差の根源には、さまざまな要素があります。
否定的な意味、あることが望ましくない意味での「格差」。
格差は、本来平等であることが望ましいコト、公平であることが望ましいコトが、そうではないことから発生するコト、モノ。
そういうニュアンスを持っていると思います。

問題は、そうした認識できる「格差」を解消・改善し、「平等」や「自由」を獲得し、維持できる仕組み、社会システムを用意しているかどうか、です。

公平、公正の個人ごとの捉え方の違い


しかし一方、「平等」であること、「公平」であることは、かなり主観の領域にかかるコトではあります。
すべての人が「平等である」コト、すべての人に「公平である」コト。
理想ですが、あるはずもない理想かもしれません。

個人個人により「平等」や「公平」の物差しは違います。
さまざまな社会における「平等」や「公平」も、それを証明する明確な「基準」が誰もが納得できるモノ、コトとして示すことは、なかなか難しいことです。

例えば、義務教育は、平等のその機会を与えられたものです。
しかし、現実にその教育を受けるに当たっては、家族や環境の違いや、本人の生い立ち、性質・能力などの違いが厳然としてあります。
そのため、義務教育を受ける平等な権利を持つが、平等に教育を受けうる条件や状況には当然違いがあります。

また例えば、小学校で、教師が生徒に公平に接している、と思ってやっていても、生徒によっては、誰かをえこひいきしている、自分には冷たくしている、そう感じることなどザラにあります。

法の下の「平等」実行・実現の難しさ


ということで、
憲法第14条にある、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という規定。

例えば、
種々の訴訟において、果たして、原告側・被告側双方が満足する判決があるでしょうか。
本来「法の下に平等」であるべきモノ、コトが保障されることは、なかなか困難なコトです。

税と社会保障制度の一体改革が絶対的であるかのように内閣や財務省や厚生労働省や、多くの学者も加わって、まことしやかに言われています。
しかし、所得再分配における所得税の累進課税、年金制度・医療保険制度における現役世代の負担の大きさ、など、とてもとても「平等」の享受や実行には程遠い、法の矛盾がまかり通っている現実があります。

憲法に規定する「自由」の定義の難しさと感じ方の多様性

「平等」の実現と同様に難しいのが、憲法第13条に組み入れられている「自由」の実現です。
自由か、自由でないか、不自由か、不自由ではないか?
これは個人の考え方次第。
考え方次第の自由を、すべての人が考えるように認めると、どうなるか。
言うまでもないですね。

「自由」に関しては、必ず「○○の自由」という具合に、対象や領域を特定・指定して考える必要があります。
実際、憲法上も「学問の自由」「信教の自由」「思想及び良心の自由」「集会、結社及び表現の自由」などの個別の条文が設定されています。
「○○」が付かない「自由」は、大体、身体的・精神的に何かに拘束されて奪われる「自由」を指しているように思われます。

この辺りに「自由」を履き違える人が多く出てくる理由があります。
その時に、本来「平等」であるべき「自由」を守るべく、法の支配による保障が課題となるわけです。
但し、そこには、権利と表裏一体の「責任」や「義務」という概念・観念も付随していることを、人はまた忘れがちです。



ベーシック・ペンションだけが、憲法で保障する「平等」唯一の実現事項


このように「平等」も「自由」も、個人個人の人間関係上、ある特定の社会と個人との関係上、なかなか実現困難な課題です。

しかし、こうした、個々人の多様な考え方・感じ方を要因とする「不平等」を解消し、真に「平等」を実現できるモノ、コトが、一つだけあります。

それが、基本的人権を拠り所とし、そこでの「平等」原則を体現した、社会保障制度として、全国民個人個人に対して、無条件で、無拠出で、生涯、ベーシック・ペンション、生活基礎年金を、年金として支給する制度です。

所得再分配方式への不満や、社会保険料負担の不公平性とは無縁の、絶対的平等を体現化する社会システム、社会経済システム、そして文化としてのベーシック・ペンション。
これのみが、日本という国家社会における文化として保障された「平等」となるのです。


ベーシック・ペンションの平等から、次の平等の対象・課題の設定と実現へ

しかし、唯一の平等であるベーシック・ペンションが実現されれば、基本的人権としてのベーシック・ペンションの役割が終わるわけでは決してありません。

むしろ、ベーシック・ペンションは、日本国民としての基本的人権に基づく社会保障制度の基軸であり、関連するさまざまな領域・課題における、平等と公平、そして自由の実現とに繋がっているのです。

先に「○○の自由」と表現したように、「○○の平等」という領域や対象を限定・特定した中での「平等」が、ベーシック・ペンションという平等を起点として、課題とされ、取り組まれ、実現されることが、基本的人権の保障作業となるわけです。

そして付け加えるべきは、「多様性」を認めた上での「平等」の実現が条件となること。

貧困解消を絶対的な目的としているベーシック・ペンションは、現状の生活保護制度を十分カバーする内容であることを絶対条件としています。
しかし、それは出発点です。

「○○の平等」。
例えば、義務教育以外に、自分のやりたい職業に就くために勉強する、教育の機会を持つ。
そうした「教育を受ける機会の平等」。
言うならば、そうした意識・意欲を持つ人が得る、あるいは、与えられる「機会の平等」。
これは、教育を受ける「自由」を行使する上での「平等」の保有と実現になります。

起業する機会を持つ自由と平等。
ベーシック・ペンションは、こうした展開も想定し、支援する制度となるのです。

もちろん、働かない自由を享受する機会の平等を主張し、実践する人もいるかもしれません。
ベーシック・ペンションは、その自由と平等を保障しますが、その年金で得ることができる自由と平等は、果たして、本人にとって、十分なのかどうか。
そうしたことを考えることで、新たな、その人なりの「自由」「平等」「権利」などが芽生え、新たな「自由」の実現に取り組む機会が訪れるのではないかと思うのです。

民主主義を考えるヒントが

ベーシック・ペンションが支給されること、あるいは、現金ではなくデジタル通貨で支給され、使途が限定されるのは、自由と人権を妨げるもの。
そう主張する方の気持ちも分からないではありません。
しかし、○○の平等、○○の自由、という何かに特定した「平等」や「自由」を起点とせず、すべてにおいて、観念的な「平等」や「自由」を前提とすると、むしろ、自身の「個人の尊厳」を求める反面、他者の「個人の尊厳」を否定したり、奪い取ったりする行為・行動を引き起こすリスクが高まることを想像・想定すべきではないか。
そう考えます。

自由や平等が、個人個人の領域で、解釈も基準も異なる故に、分かりやすい領域・範囲に限定した自由・平等を積み重ねていく営みが、もしかしたら民主主義社会の一つのルールではないか。
今、ふとそんなことを考えました。

来月には、民主主義をテーマの一つに加えたいとこのところ思っている故かもしれません。


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