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2020年関連図書考察

井手英策氏「ベーシック・サービスの提唱」への対論:『未来の再建』から(2020/11/16)

 『ベーシックインカムを問いなおす その現実と可能性』(法律文化社・2019/10/20刊)
を用い、同書で問い直すべきとしているベーシックインカムについての各章を対象として、以下の『ベーシックインカムを問いなおす: その現実と可能性』対論シリーズを進めてきました。

第1回:今野晴貴氏「労働の視点から見たベーシックインカム論」への対論(2020/11/3)
第2回:藤田孝典氏「貧困問題とベーシックインカム」への対論(2020/11/5)
第3回:竹信三恵子氏「ベーシックインカムはジェンダー平等の切り札か」への対論(2020/11/7)
第4回:井手英策氏「財政とベーシックインカム」への対論(2020/11/9)
第5回:森 周子氏「ベーシックインカムと制度・政策」への対論(2020/11/11)
第6回:志賀信夫氏「ベーシックインカムと自由」への対論(2020/11/13)
第7回:佐々木隆治氏「ベーシックインカムと資本主義システム」ヘの対論(2020/11/15)

 
 しかし、ベーシックインカムよりもベーシックサービスが優れるとする書にも拘らず、その内容の詳細についての記述が見られないため、同年に出版された、井手氏・藤田氏・今野氏共著である『未来の再建』でその確認をすべく、同シリーズ続編として寄り道をすることにしました。
 2回に分けて行う予定ですが、今回は、井手英策氏による「第4章 ベーシック・サービスの提唱」への対論です。

プロローグとしての「引き裂かれる日本社会」

 実は、この第4章に先立って、井出氏は、「第2章 引き裂かれる日本社会」と題して論じています。
 この章については、その構成である各節の見出しと、まとめの文を紹介し、同氏の基調、論調を確認しておくにとどめたいと思います。

1)アベノミクスをどう評価するか
2)20年前がもっとも豊かだった社会
3)いつ20年前の所得に戻れるのか
4)自己責任が果たせなかった人々
5)家族よりも死を選ぶ社会
6)経済的失敗者=道徳的失敗者
7)すさまじかった賃金下落圧力
8)新自由主義へ
9)中間層だと信じたい人たちの抵抗
10)なぜ他者を攻撃するのか

 財政の危機と社会の危機とは表裏一体だ。
 もちろん、財政健全化は重要な政策課題だ。
 だが、不幸なことに、財政健全化を至上命令と考え、歳出削減を強行すればするほど、人間と人間の間に分断のくさびが打ち込まれ、増税は難しくなる。
 経済が、社会が、政治が明らかに行きづまりを見せている。
 今日よりも素晴らしい明日を人びとは夢み、それを僕たちは進歩と呼んできた。
 だが、僕たち日本人の歴史は、この進歩の軌道から大きくはずれ、いまだ経験したことのない閉塞感におおわれた未踏の地へと足を踏み入れようとしている。
 僕たちはどこに向かって歩みを進めればよいのだろうか。

「経済の時代」の終焉と新しい人類史という曖昧性とコロナ

 ベーシックインカム推奨の起点となる現代認識と将来展望。
 それが、過去の歴史上、ほんの束の間に誕生し存在した、経済という概念とその社会的活動が終わり、新しい人類史が始まろうとしている。
 その理由は、経済成長の停止、人口停滞・減少、先進国と後進国との境目の消滅、賃金低下、格差の拡大、社会の分断・・・。

 これらの現象を包括して、経済の時代が終焉し、新しい人類史の始まり、と井出氏は言っているのです。
 どうにもムリがある、感覚的議論です。
 いや、2020年、人類史は変わる、変わったのかもしれない。
 コロナで。
とすると、井出氏は預言者だったのか?
 ただ、ここで井出氏が言う「経済の時代」とは、経済のあり方が人間の生の在り方をも決めてしまう、人間の歴史の一局面にすぎない時代、としていることを確認しておきましょう。

欲望充足より先行・優先すべき共同行為としてのニーズ充足

 次に

その経済の時代とは反対に、僕たちの歴史をつらぬく一本の太くて長いはり、それが、「必要」あるいは「ニーズ」をみたすための人間の「共同行為」である。

とします。
 そこで、「欲望充足」と「ニーズ充足」両者を人類の歴史をつらぬく法則と捉え、後者の共同行為としての「ニーズ充足」に力点を置きます。
 前者については、経済学では、その欲望をつうじて個人が自己の効用、喜びを最大化するプロセスを取りあつかうと言っています。
 この定義も、大げさで、一面的なものでしょう。
 また「共同行為」は、「わたしのための行為」ではなく「わたしたちのための行為」を意味すると言います。

 僕たちはなぜ社会を作るのか。それは「わたしのニーズ」ではなく、正義や道徳を基準として助けあってきたのではなく、「わたしたちに共通のニーズ」をみたすという目的が共有されているからにほかならない。

 井出氏がいう共同行為により形成され維持された社会は、一体、いつ、どこのことなのでしょうか。
 そこでは「わたしたち」の思いはすべてが認識し、共有していたのでしょうか。
 そしてその時代は、どれだけ続いたのでしょうか。

くらしの場、はたらく場を一体と見る共同体幻想

 ただし、この「ニーズ充足」のための「共同行為」は、それぞれの歴史局面において、さまざまに姿を変えてきた。

 もともとは「くらしの場」と「しごとの場」が同じ場所をさしていたが、この2つの分離が経済の時代の始まりとなった。
 そして、この「しごとの場」=「はたらく場」で得た賃金が生きるため、暮らすための手段となり、2つの場の分離で、「共通で社会的なニーズ」を「私的で個人的なニーズ」に充足できるようになっていった。
 そして、このニーズを超えて、「欲望充足」にも賃金が使われるようになり、欲望の無限連鎖が生起され、空前の成長の時代を迎えることになった。
 これが、自助努力と自己責任によってそれらをみたす時代である。
 それは、「ニーズの市場経済化」がなされたことを意味する。

 歴史的局面により姿を変えた共同行為に依拠した社会。
 井出氏の語り口は、小学生・中学生に言って聞かせる理想郷としての社会の物語のようです。
 本編を読み進めるうちに思い浮かんだのは「共同体幻想」という言葉。
 くらしの場、はたらく場が、共同体だけで形成された社会は、恐らく、疫病や災害などで、寿命は短く、その共同体が永続することは困難だったと思われます。
 そして、王政、宗教など、何らかの為政者的存在があっての疑似共同体であることのほうが多かったはずです。
 加えて、欲望は、根源的には為政者が求め、持つものであったはずです。
 経済の時代は、そうした旧権威・権力主義者からの解放により実現した、新しい国家社会がもたらしたものと言えるはずです。

保障の場の登場と財政領域の誕生、そして貧困・格差へ

 再度、歴史を少し遡ります。

 その「ニーズの市場経済化」により弱体化した社会は、近世から近代にかけて、先の2つの場を超えて、宗教戦争なども経験しながら、共同行為のための「保障の場」をつくりだし、財政機能を創造し、膨張させていったわけだ。
 その経済の時代の進行により、「くらしの場」は、家族に押しこめられ、プライバシー空間において、女性が育児・保育、養老介護も含む家事全般を受けもち、地域自治組織や生協・農協なども生活をサポートする。
 「はたらく場」では賃金が暮らしの基盤になり、労組が形成され力をもつようになった。
 「保障の場」では、財政、税金による生活の維持が可能になるなどの変化がもたらされたが、そのバランスに大きな支障が生じ、拡大してきたとする。
 その根本的な問題は、賃金所得により生活が左右される「市場経済のもとでの自己責任」への偏重にあり、それらが、所得の低下、貯蓄の困難化、そして貧困・格差に至らしめた。
ということになります。

経済の時代がもたらした欲望の時代を是正する取り組み

 そこで求められるのが、些末な制度改正、微修正の積み重ねではなく、財政、この社会、この国のあり方、制度そのものを大胆に組みかえていくこと。

 その認識は、JBI日本型ベーシックインカム生活基礎年金制の導入を提案する私も同じです。
 そして井出氏は、そのために、

 「くらしの場」「はたらく場」「保障の場」を作りなおす。
 すなわち、「経済成長」「格差是正」「財政再建」等の従来の目標を乗り越える形での「生活の再建」「職業の再建」「保障の再建」を課題として「ソーシャル・イノベーション」を起こす。

 としています。
 どうも、展開が稚拙、あるいは、少々ムリがあるようにに思えてなりません。
 純粋と言えば純粋、ですが、藤田孝典氏と今野晴貴氏を巻き込んでの『未来の再建』としては、お二人の専門領域における問題意識を前提とした「生活の再建」「職業の再建」を持ってこざるを得なくなった感じです。
 しかし、「生活の再建」の基盤として、生計費を確保する課題があります。
 また「職業の再建」は、働きたくても働けない人、働きたい仕事がない人、選べない人など、働くことが当然という前提でくくれない人びとをどうするか、の視点も消えがちです。
 「保障の再建」がベーシックサービスのみで可能とするには早計すぎるでしょう。
 そして、なにより、新型コロナは、先述した「生活の再建」「職業の再建」「保障の再建」の3つの再建には、先立つものとして現金給付が絶対的に必要であることを示したはずです。
 すなわちベーシックインカムこそ、普遍的な個人及び社会ニーズに対応できる手段であることが、次第にその認知度を高めつつある。
 やはり、そこに、新しい人類史への第一歩になりうる可能性を、ベーシックインカムよりも示していると言えるのではないでしょうか。

まだ曖昧模糊としたBSベーシック・サービス

 そこで提案されるのが、ベーシックサービスになります。
 もっとも重要な前提なので、そのまま筆者によるベーシック・サービスを説明します。

 人間が人間らしく生きていくために必要となる(保育・医療・教育・介護などの)基礎的なサービスをベーシックサービスと呼ぶ。

 たしかに衣類や食料といった、人間が生きていくための基礎的なニーズは存在する。
 しかし、これらは実際のモノであり、市場経済での取引によって獲得されるべきものであり、これらを個人的ニーズとして位置付けている。

 ここにも矛盾があることは、明らかです。
 保育も医療も教育も介護も、基礎的なニーズであり、個人的ニーズであることにかわりはないはずです。
 ここでのモノとサービスにおいては、どちらも生きていくために必要であることは共通であり、どのような差があるというのでしょうか。
 例えば、医療においては、薬はモノであり、治療や入院に利用する資材や設備、機器もモノです。
 現実的に、医療は、モノを用いて行うサービスであり、教育にも、保育にも、そして介護にもモノが付随するか、用いられます。
 つまり、モノとセットのサービスです。
 そして本人は無償ゆえ負担しませんが、実際にかかるコストは、物象化されたモノのコストを加えたサービスであることを、認識しておくべきでしょう。

 ベーシックサービスは、あくまでも「サービス」である。
 そして、人間が生きていくうえでだれもが必要とすると社会が判断したサービスである。
 政府のおこなうべき給付のうち、働けない人たちのための現金給付にくわえて、あらゆるベーシック・サービスをすべての人たちに、所得の大小、年齢、性別にかかわりなく、普遍的に保障することをめざす。

 こう、この章の最後に宣言します。
 やはり、サービスの再定義が必要です。
 また、そこでの「社会」とは、どの社会でしょう。
 普遍的という意味が、無条件でだれでも、希望する人すべて、ということならば、高齢者が希望する教育サービスも無償で受けることができるのでしょうね。
 医療技術の進化で、実質的に青天井で高額化する可能性のある医療費も、その医療を受ける人すべてが無償となると、現状の健康保険制度は維持できなくなるでしょう。
 当然、賃金から控除される医療保険料と企業負担の法定福利費が、とてつもなく引き上げられることが予想されます。
 それとも、保険料負担を個人・企業ともゼロにするというのでしょうか。
 そこまでの提案はまだ聞いていませんし、仮にそうなら、消費税20%程度の増税では追いつかないでしょう。
 すなわち、ベーシック・サービスは、未だに曖昧模糊としたサービスなのです。

食料・衣料・日用品等生活基礎ニーズをみたす所得がない人は、どうなるか

 この『未来の再建』においても、井手氏のここまでの論述で、BS導入後、生活保護制度をどうするのかは、明確に語られていません。
 一応「働けない人たちのための現金給付にくわえて」という表現がありますが、生活保護制度のスティグマやミーンズテストなどについては触れていません。
 そして、先述したように、食料・衣料などは、市場経済で自身で調達せよ、買い求めよ、としています。
 この食べて生きていくことの方が、生きる上で最も基礎的なこと。
 そして守られるべきことのはずです。
 「くらしの場」の営みであるはずのそれは自己責任領域のこととしているわけです。
 果たしてこれで「生活再建」は保障されるのか。
 ベーシックサービス制は、まだまだ曖昧で、その適用される範囲や基準も示されていません。
 もちろん、脱商品化されたそれらに現実的にかかる諸費用の財源とその額についてもここまではまだ示されていません。

 次回予定している、「第7章 未来を再建せよ すべてを失う前に」で、確認することにしましょう。

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本稿は、WEBサイト https://2050society.com 2020年11月16日投稿記事 2050society.com/?p=2983 を転載したものです。
当ベーシックインカム、ベーシック・ペンション専用サイト http://basicpension.jp は2021年1月1日に開設しました。
しかし、2020年から上記WEBサイトで、ベーシックインカムに関する考察と記事投稿を行っていました。
そこで、同年中のベーシックインカム及び同年12月から用い始めたベーシック・ペンションに関するすべての記事を、当サイトに、実際の投稿日扱いで、2023年3月から転載作業を開始。
数日間かけて、不要部分の削除を含め一部修正を加えて、転載と公開を行うこととしました。
なお、現記事中には相当数の画像を挿入していますが、当転載記事では、必要な資料画像のみそのまま活用し、他は削除しています。
原記事は、上記リンクから確認頂けます。

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