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2020・21年考察

ゴルツの時短・時間解放社会と社会的排除の本質とBI論との結びつき:小沢修司氏2002年著『ベーシック・インカム構想の新地平』から-3

 日本のベーシックインカム論の古典、と私が勝手に位置付けているのが、小沢修司氏により2002年に出版された『福祉社会と社会保障改革―ベーシック・インカム構想の新地平』(2002/10/30刊)。

 同書後半の第Ⅱ編[ベーシック・インカム構想と福祉社会の展望]を紹介し、考察するシリーズを今月始めました。
 前回、前々回は、「第1章 ベーシック・インカム構想の新展開」 の前半を対象として
2000年前後までのベーシックインカム論確認:小沢修司氏2002年著『ベーシック・インカム構想の新地平』から-1(2021/10/1)
負の所得税、参加所得、社会配当。BIに類似した最低限所得保障構想:小沢修司氏2002年著『ベーシック・インカム構想の新地平』から-2 (2021/10/2)
と題した記事を投稿。

今回は、「第2章 労働の変容と所得保障」の前半を確認します。

その前に、繰り返しになりますが、第Ⅱ篇の構成を確認します。

Ⅱ ベーシック・インカム構想と福祉社会の展望
第1章  ベーシック・インカム構想と福祉社会の展望

1. ベーシック・インカム構想の系譜
 1) ベーシック・インカム構想の系譜
 2) 日本におけるベーシック・インカムへの言及
 3) ベーシック・インカムとシチズン・インカム
2. 戦後「福祉国家」の見直しとベーシック・インカム構想
 1)福祉制度改革の課題
 2)1980年代以降の社会経済変化
3.最低限所得保障の類型とベーシック・インカム構想
 1) 負の所得税とベーシック・インカム
 2) 参加所得とベーシック・インカム
 3) 社会配当ベーシック・インカム
4.小括
第2章 労働の変容と所得保障
1.ゴルツの「ベーシック・インカム保障+大幅時短セット論」
 1)労働の変容と所得保障構想の変化
 2)所得と労働の一体性を実現する「ベーシック・インカム+時短セット」論
2.社会的排除と貧困
 1)社会的排除とは
 2)貧困の現れとしての社会的排除
3.ワークフェアと所得保障
 1)社会的排除と所得保障
 2)ワークフェアとベーシック・インカム
4.ベーシック・インカム保障と労働時間の短縮が切り開く道
 1)オランダモデルへの注目
 2)消費から見たもう一つの「所得と労働の関係」
5.小括
終章 日本におけるベーシック・インカムの可能性

Ⅱ ベーシック・インカム構想と福祉社会の展望

第2章 労働の変容と所得保障 」から-1

 この章の初めに、小沢氏はこう述べています。

 この章では、BIが労働と所得の関係を切り離す側面に焦点を当てながら、その関係を通じ、人間福祉の実現を図る新しい福祉社会構想をBI構想が切り開きうるものなのかを検討する。
 その際、主に取り上げるのがゴルツの所論である。

 そのゴルツ(1923/1924―2007)とは、オーストリア出身のフランスの社会科学者であり、「より少なく働き、よりよく生きる」をスローガンに掲げ、労働時間の大幅な短縮と労働者自身による労働時間の自主管理(時間政策)を通じて、「賃労働社会」を超える「時間解放社会」の実現を唱えるエコロジスト的マルクス主義者として名を馳せている人物である。
 彼が、資本主義社会における所得保障と労働の結びつきとその解き放ちのもつ意味を検討するには最適の議論を展開してくれていると考える。


 率直に申し上げて、私はマルクス主義者ではないので、この前提自体に賛成しているわけではないのですが、小沢氏自身がご自分のBI論を提案するに至るなかで、非常に大きな位置・意義をゴルツが占めていることを考え、以下本章の概要を見ていくことにします。

BI構想の前提としての高度情報化社会の労働の変容と所得保障構想の変化

 小沢氏が本書を執筆している時期にはまだ活動していたゴルツ。
 彼の考えの軸になっているのが、急速に進む情報化・ハイテク化などの高度情報・サービス化社会=労働生産性の高度な発展とその市場経済化の結果として、社会的必要労働が減少していく中、労働に基づいて賃金、所得水準を決め、これにより生活保障とするという考え方が成り立たなくなってきていること。
 それが、BIという労働と切り離された所得保障の構想が必然的になるというものです。

 その現実においては、働く人々の労働時間が均等に減少していくわけではなく、長時間労働に従事するものと、失業=労働市場から弾き飛ばされる者とに差別化、二極分化し、かつ就業構造が生産性の低い低賃金のサービス産業へますますシフト化することで、賃労働で生活することがムリになる、というわけです。

 今ならば、AI社会により仕事がなくなるという定型文句が、BI論の論拠の一つにされているのと同次元の主張ですね。
 ゴルツと同様の考え方をする学者としてリフキンとオッフェも紹介。
 前者は「所得と労働の伝統的な関係が破壊されることは避けられず、市場経済における雇用関係とは別な形で人々の所得を保障する必要が生じてくる」、後者は「生活のために労働市場に依存せざるを得ない状態に国民の大半を追いやってきた流れと手を切らねばならない」と述べていることを紹介しています。

所得と労働の一体性を実現するゴルツの「ベーシック・インカム保障+大幅時短セット」論

 しかし、こうした状況下、ゴルツはBI論を手放しで受け入れるのではなく、導入方法によっては保守の思想ともなり、左翼の思想ともなるとし、その分水嶺の設定の必要性を主張するといいます。
 前者については、本書でも既に述べた1795年のスピーナムランド制を例示しつつ、経営者が臨時雇用に傾斜する
可能性を提起し、自由主義者らの負の所得税方式でのBI論への展開を危惧するわけです。

 では、その分水嶺はどのようにすれば良いのか。

「左翼の構想の中心となるものは、あらゆる労働から独立した所得の保障ではなく、所有権と労働権の間にある切り離すことができない関係であり、<自分の生活費を稼ぐ>権利、自分の生活に必要なものを経済的政策決定者の善意に頼らない権利である」とします。
 言い換えれば、個々人が社会から受け取るもの(所有権)と社会に与えるもの(労働権)との一体性が重要、というのです。


 そう言われても抽象的で、正直ピンときませんね。
 まあ、なんとなく共産主義的、あるいは社会主義的対応かな、というイメージは湧いてきますが。
 そこで分かりやすく説明を、ということでしょうか、一転して、ベーシックインカム保障と「時短社会」の結合方式を持ち出してきます。

 ここで展開される説明も、説得力が伴う合理性に満たされたものでは決してないと感じるのですが、一応簡略化して紹介します。

15~20年間で段階的に現在の年間労働時間を1,600、1,400、1,200時間、最終的に1,000時間とフルタイム労働の基準時間を引き上げていき、かつその基準単位を、1年、3年、5年あるいは労働適齢期全期間(20年から30年)へと拡張していく一方、ワークシェアリングを進めていく。
それによりそれぞれの人生設計に応じて、職業生活に専念したり、社会貢献活動に重点を置いたり、学習に、芸術活動にと、自由な生き方、第二、第三の人生が可能になる。
従い、BIは時短に伴って所得が減少するのを補填する役割として、あるいは労働中断期間中の所得保障として機能を発揮する。


 ん~~~。
 言わんとしていることは一応分かりますが・・・。
 そんな機械的に、計画的にうまく時短を実現・採用できるものかどうか。
 後半で主張している生き方は、BIが保障されれば、働き方を示す一つの要素としての労働時間を固定的に設定しなくても良いと思うのですが。
 そこは言うならば左翼の左翼たる矜持というのでしょうね。
 お硬いというか、杓子定規というか、教条主義的というか。

 そう反意を示しつつ、繰り返しになりますが一応次の項の展開と繋がっていますので、ゴルツの主張を本書そのまま転載します。

左翼の展望では、社会が排除する人々に十分な所得保障を行うことが最終目標となってはならないし、また政治構想の出発点となるべきでもない。
出発点は、経済的に必要な労働の量の減少でなければならず、また目的は貧困や非自発的失業の解消でけでなく、時間の不足や生産性競争、労働適齢期を通してフルタイムで働かされる強制の解消でもなければならない。
過渡的に行う場合を除いて、問題は生産過程から排除されてしまった人々に対する給付金を確保することではなく、その排除をもたらした状況を取り除くことなのである。


社会的排除と貧困対策への動き

 この最後の主張の初めに「社会が排除する人々」とありました。
 この「社会的排除」とは一体どういうこと、ものなのでしょうか。
 小沢氏の展開では「1990年代以降、世界的な貧困との闘いの新たな局面は、社会的排除との闘いの様相を見せている」とし、その根拠として
・ILOによる1998年の「社会的排除と貧困との闘いの戦略と手段」計画STEP
・フランスで1988年成立の先駆的所得政策「参入最低限所得RMI」制度
・イギリス、ブレア労働政権下の課題
・日本では2000年7月からの厚生省における「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」開催
などを取り上げています。

社会的排除とは?

小沢氏は、その定義・意味を、都留民子の先述のフランスRMIを研究を用いてこう示しています。

 元気な青年・成人たちをつかみ、失業または不安定雇用を出発点として、生活の不安定、住宅状況や健康の弱化、社会的地位の劣化・低下、さらには家族関係や私的援助、社会的紐帯の切断、そして社会(人間の共同体社会)そのものからの脱落という全過程を把握する概念


 そして、こうした状態をもはや放置できないものとし、それとの闘いが社会的結合や包摂の課題になるのが必然、とするわけです。
 次に貧困との関係を見ておきましょう。

貧困と社会的排除との関係

次に社会的排除に関しての重要な論点として
1)貧困概念との関係
2)「排除された人々」を特定化した社会階層として捉えるか否か
3)社会的排除との闘いを始めるにあたっての参加の重要性
の3つを挙げています。

それぞれについて、ごくごく簡単に触れておくことにします。

貧困概念との関係

ここでは、「福祉経済学」を評価されてノーベル賞を受賞したセン Sen,A. の論を示しながら以下のように提起します。

貧困といえば所得の貧困としてしか捉えようとはしない多くの経済学に対して、潜在能力としての貧困、社会的排除の貧困としての発現形態を示す。
すなわち、社会的排除は、社会生活を行うという機能を遂行する潜在能力の貧困を物語り、
「精神的な傷、働く意欲・技能・自信の喪失、不安定な病的状態の増大、家族関係や社会生活の崩壊、社会的排除の強まり、人種的緊張や男女間の不平等のや高まりなど、個人の生活に深刻な影響を及ぼし、所得以外の種類の剥奪をもたらす」。
ゆえに、社会的排除を正しく貧困として捉え直し、「社会的排除ー包摂」の課題を「貧困ー人間発達」の課題として把握する。

「排除された人々」を特定化した社会階層として捉えるか否か

 ここでは、アメリカのようにアンダークラスの人々を「排除された人々」とするのではなく、一般的にヨーロッパで用いられるように「社会生活へ十全に参加しアクセスする潜在能力とその発揮が剥奪される過程や剥奪された状態」にあることを表現する言葉として用いるべき、としています。

社会的排除との闘いを始めるにあたっての参加の重要性

 最後に、この項目については、先のILOのSTEP計画において示した「排除された人々の参加と組織化は、社会的排除に対する闘いの戦略にあたっては、二つの重要な要素である」という主張をそのまま用いています。

小沢氏のベーシック・インカム提案に繋がる貧困と社会的排除対策の確認プロセスとして


 今回は、そのように理解し、位置付けての紹介と認識して進めてきました。
 マルクス主義者ではない私にとっては、正直、思い入れをもって確認する作業にはならないのですが、右にも左にも与しないでベーシックインカム論を形成・構築することは、当然求めるべきことと認識しているゆえに取り組みです。
 今回は、第2章の前半。
 次回は後半で、「ワークフェアと所得保障」「ベーシック・インカム保障と労働時間の短縮が切り開く道」とたどり、「小括」に至ります。
 そして、その次に、<終章 日本におけるベーシック・インカムの可能性>と題した、小沢氏独自の、わが国におけるベーシック・インカム提案を確認することになります。
 

 


 

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  1. zoritoler imol

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