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2020年関連図書考察

井手英策氏「財政とベーシックインカム」への対論(2020/11/9)

ベーシックインカムを問いなおす: その現実と可能性』対論シリーズ-4

 今月から、『ベーシックインカムを問いなおす その現実と可能性』(法律文化社・2019/10/20刊)
を用い、同書で問い直すべきとしているベーシックインカムについての各章を対象として、私が考え提起する日本型ベーシックインカム生活基礎年金制と突き合わせをするシリーズを投稿しています。

・第1回:今野晴貴氏「労働の視点から見たベーシックインカム論」への対論(2020/11/3)
・第2回:藤田孝典氏「貧困問題とベーシックインカム」への対論(2020/11/5)
・第3回:竹信三恵子氏「ベーシックインカムはジェンダー平等の切り札か」への対論

 以上に続く今回、第4回は、井手英策氏担当の「財政とベーシックインカム」への対論です。

井手英策氏の本論の視点

 ベーシックインカム論議には、大きな欠点が2つある。
 1つは、なぜ全員に給付すべきなのか、その理由について理論的、哲学的に考察されてきたとは必ずしも言いづらいことだ
 もう1つは、その実現可能性の低さから、財源問題が半ば意図的に回避されていることである。


 <1 ベーシックインカムの哲学的基礎を問い返す>と題して始まる本論の冒頭に、上記があります。
 これが、井出氏の本論の起点・視点です。
 井手氏に限らず、BIを取り上げる多くの学者さんたちは、皆、過去の論者の哲学的・思想的・歴史的理念や背景を引き合いに出し、認めうること、認められないことなど思うままに論じています。
 私は、そうした営為をあまり好みません。
 現在の社会経済的な現実は、すべてが何かしらの哲学や理論に基づいて機能しているわけではないと考えるからです。
 敢えて言うならば、人類のさまざまな経験や知見を積み重ね、試行錯誤し、継続させ、変化しつつ、あるいは変化することなく、現実が今、そこに、ここにある、そう捉えています。
 民主主義であろうと社会主義であろうと、一応の歴史や哲学を経てきてはいますが、そのどこにおいても理論・哲学どおりに完成されたものはありません。
 ベーシックインカムにも、様々な歴史や背景があり、種々の論が展開されてきましたが、やはり未だに完成形はどこにもありません。
 UBI、ユニバーサルベーシックインカムというあたかも唯一無二の絶対的モデル論がありますが、それとても、この世でどこかが導入し、モデルとして定着しているわけではないのです。
 そのUBIを引き合いに出して、完全なBI、不完全なBI、部分的BIなどと、区分け、差別化していることも、考えようによっては、BI論を弄んでいるようなものと思えるのです。

 井手氏の得意な論法の一つが、哲学的・理論的決着をつけることです。
 その財政論においても当然同様のスタンスです。
 自分が認めない哲学・理論は、すべて不十分なものとして排除する姿勢がミエミエです。
 その論理でいくと、井出氏の思想・哲学・理論を認めない他者がいれば、同じことが繰り返されるだけです。
 元々ムリがある過去の言説を引き合いに出して批判することの傲慢さには、ある意味、辟易します。
(参考)
◆ 日本型ベーシックインカム実現に思想家、哲学者、歴史家、学者は要らない。必要なのは(2020/10/19)

 なお、私が提案する日本型ベーシックインカム生活基礎年金は、日本国憲法に規定する基本的人権と生活保障・社会保障条項に依拠し、国と個人との社会契約に基づく基礎年金としての給付です。
 絶対的哲学も絶対的理論も無用の、法規定です。

所得再分配主義でのみBIを語る硬直性・教条性

 BIは結局のところ、巨大な所得再分配である。
 まず、所得を分配し直すことの正当性を認めたうえで、どのような分配が望ましいのか、という議論の段階に進めていく。

 こう言って、次のテーマ<2 なぜ「ベーシックサービス」ではいけないのか>に移ろうとします。
 しかし、所得の再分配に依拠しないBI論もあるわけで、彼によれば、それは評価・議論にまったく値しないもの、BI論の範疇に入らないもの、とレッドカード、一発退場にしてしまうのです。
(参考)
◆ ベーシックサービス対ベーシックインカムの戦い?(2020/10/20)

ベーシックインカムを問いなおす』では、具体的に提示されていないベーシックサービス

 前項で、富・所得の再分配絶対論を示した後、その再分配の形には、次の2種類があると言います。

・富裕層に課税し、低所得層に分配する「選別的な再分配」
・比例的に課税し、定額ですべての人に給付する「普遍的な再分配」

 BIは、後者の普遍的な再分配によるものとし、格差の縮小に寄与することは認めています。
 そして、ベーシックサービスに言及します。

 BSベーシックサービスとは、生活保護や年金のような現金ではなく、医療、介護、教育、子育てなど、万人が必要とする/必要としうる(可能性のある)「サービス」のことであり、これをすべての人たちに給付することをめざすものなのだ。
 事実、これらのサービスの多くは村落共同体のなかで、家族のなかで、普遍的に、すべての共同体の構成メンバーに提供されてきた。

 このサービスは、財政システムにおいても、すべての人たちに普遍的に提供されてよいはずである。

 ここで用いられている「普遍的」とは、どういう意味を持つ言葉でしょうか。
 村落共同体や家族は、現在でも普遍的に存在すると言えるか。
 過去にも絶対的に存在したと言えるか。
 井出氏の哲学のなかだけで想像し、すべての歴史上の普遍と勝手に決めつけているだけではないか。
 どうも、同氏の「普遍的」とは「総合的・俯瞰的」レベルと相違ないように思えてしまうのです。
 財政学者とおっしゃるが、BIをめぐる論争のなかに、MMTに基づくものや、財政赤字容認論、中央銀行の通貨発行権論など、財源に拘泥しないBI論も存在する事実をすべて否定することは、自らの主張のみを正統化する教条主義と言ってもよいでしょう。
 少なくともそれらの論考は、経済学の範疇に入るものですから、財政学者が取り上げる必要がないなどということはありえないはずです。

ベーシックサービスで提供するサービスには、コストが掛からないのか

 BIは収入を増やす一方、BSは経費を軽くするという。
 利用する当事者だけを見ればそうだが、現実的には、そのための社会的コストが発生しています。
 その社会的コストは、本当に安くあがるのでしょうか。
 井出氏のこの小論にはまったく出てこなかった「脱商品化」という用語。
 脱商品化し、BS化されたサービスには、まったくコストは発生しないとでも言うのでしょうか。
 膨大な現金が必要なBIに比べれば安くあがる、ということらしいですが、こんなことはないだろうか。
 すなわち、必要な人が必要な時に利用するBSというが、必要の程度に差があるでしょうが、当然無制限なんでしょうね。
 しかし、タダとなれば、人は、どんどん、際限もなくその無料サービスを利用する可能性があるのです。
 この場合、現状の保険制度を継続させると、毎年増え続けている、医療財政・年金財政の赤字・悪化状況のさらなる拡大は目に見えている。
 それも微々たるものということで済ますのでしょうか。
 なにより、財政学的に利用者にはタダの無償サービスに要するすべてのコストは、どこで調達するのか。
 同氏推奨の消費税で充当できるのでしょうか。
 随分楽観的なようですが。
 BSによる無償サービスが提供されていると評価する北欧諸国の高福祉高負担の状況についての論述がどこにも出てこないことにも不信感を持ってしまいます。

偏り・欠落がある、井手ベーシック財源論

 あえて考えるとするならば、「生きる」という共通のニーズ、そして「自由」という人類に共通の普遍的ニーズを満たすための共同事業として、財政がBIを引き取ると考えられなくもない。

 ようやく、妥協可能な線が見えてきた。
 そう思えたのですが・・・。
 この場合のBIとして例示するのが、月額12万円の支給。
 そこに必要な財政は、年間173兆円と計算。
 これを純増税で賄うとすると消費税率をもう62%上げる必要。
 または、(現在の総給付費が121兆円の)既存社会保障制度全廃を前提とすれば23%の消費増税が必要。
 これに比べて、BS無償化には消費増税7%。
 こちらが絶対実現性で優位、というわけです。
 一見、富裕層からの反対は回避できそうな感じではあります。
 でも、まだこの無償化されるサービスの範囲が見えていません。
 なので、簡単にBS賛成、というわけにはいきません。
 どこかに見落としがありそうです。
 また種々の行政領域での法律の改正が不可欠です。
 その道筋も提示されていません。
 竹中7万円BI暴論と同様、あまりにも単純すぎます。
 というか、どこか偏りがあり、何かが欠落していると思えてなりません。
 要するに、納得できる法律案レベルまでのものが提示されておらず、情緒的な訴求にとどまっているのです。

ベーシックサービスの無償化は万能の社会福祉政策か

 BIとBSとは、普遍的な給付を志向するという意味では同じである。
 だが、財政学者の目から見れば、現金とサービスの性質の違い、誰もが欲する現金を給付するか、必要な人しか使わないサービスを提供するかという違いは、政策的に決定的な差を生む。
 負担の規模、財政的な効率性、社会的な対立の深度に影響を与えるし、何より、政治的な合意の実現可能性がまったく違ってくる。
 生活扶助と住宅扶助の徹底的な強化とサービスの無償化、このパッケージが社会的な分断を阻止し、人々のよりよい生を支えるうえで、現実的な組み合わせだと思う。

 こう井手氏は結んでいます。
 繰り返しになりますが、本書では、BSのより具体的で、詳細な内容が示されていません。
 求めたいのは、実際に運用される内容を組み入れた法案・規定案です。
 なので、率直なところ、議論も評価もできないのです。
 BIよりもBSを主張し、BIの不備や問題を(すべてのBI論を取り上げていないので極々一面的ではありますが)取り上げるからには、推奨するBSの詳細を、本書で提示すべきです。
 やむなく、その詳細が示されていると推察する『未来の再建 』を発注したので、数日中には確認できるでしょう。
 その上で、井手氏との対論を終えることにしたいと考えています。

 ただ、現時点で申し上げておきたいのが、生活扶助部分が、現状の生活保護制度を改定する形で残るのかどうなのか、が示されていないことです。
 当然その場合の財源についても触れられていません。
 また、住宅扶助をどのような形にするのかも、財源を含めて本書では不明です。

 もう一つ、先述したように、普遍的と称するベーシックサービスですが、例えば、医療費を無償化した場合、高い技術を必要とする高額医療のニーズや重度の要介護高齢者への介護サービスをすべて満たすことでの高コスト化、民間保育・教育(大学教育を含む)にかかるコストの財政負担基準等など、天井知らずになるリスクが付きまといます。
 サービスを受けるかも知れないという普遍性に対して、必要サービスの質と量の偏在性、利用者本人の恣意性という問題もあるのです。
 この問題を想定することもなく、普遍性、ひと言で処理してしまおうというのです。
 いや、それらのコストを見積もっても安くあがる、BIとは比較にならない、というのならば、はっきりとその根拠を財政学的に示すべきでしょう。
 それがなされた後で、再度対論に戻りたいと思います。

 次回は、第Ⅱ部の「世界のベーシックインカム」をスルーして、第Ⅲ部「ベーシックインカム論再考」に跳びます。
 森 周子氏による<第9章 ベーシックインカムと制度・政策>です。
 この章が、本誌の中で最もベーシックで、有意義ではないかと思いながら読みました。

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本稿は、WEBサイト https://2050society.com 2020年11月9日投稿記事 2050society.com/?p=797 を転載したものです。
当ベーシックインカム、ベーシック・ペンション専用サイト http://basicpension.jp は2021年1月1日に開設しました。
しかし、2020年から上記WEBサイトで、ベーシックインカムに関する考察と記事投稿を行っていました。
そこで、同年中のベーシックインカム及び同年12月から用い始めたベーシック・ペンションに関するすべての記事を、当サイトに、実際の投稿日扱いで、2023年3月から転載作業を開始。
数日間かけて、不要部分の削除を含め一部修正を加えて、転載と公開を行うこととしました。
なお、現記事中には相当数の画像を挿入していますが、当転載記事では、必要な資料画像のみそのまま活用し、他は削除しています。
原記事は、上記リンクから確認頂けます。

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