社会的共通資本とは:社会的共通資本とベーシック・インカム-1
当サイトが提案する日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金制度。
これは当然、人として平等に持つ基本的人権に基づくとともに社会保障制度の基軸として法制化することをめざしている制度です。
そして、その考え方と運営が、安定的に行なわれ、日常生活に溶け込み、世代を継承して普遍的なものとなるよう、すなわち日本固有の文化として機能し続けることを願うものと、繰り返し述べてきています。
加えて、その日本固有の文化としてのベーシック・ペンションが、その思想と役割と機能の普遍性のゆえに、グローバル社会とそれを構成する国や地域にも移転しうるようなモデルになることも理想としています。
そのベーシック・ペンションは、いうならば、政治や経済や社会保障等を論じるさまざまな著書の中で用いられ、紹介されている、宇野弘文氏(故人)の『社会的共通資本』(2000/11/20刊)で示している考え方に通じるものと考えています。
そこで今回、その著『社会的共通資本』の中の<序章 ゆたかな社会とは>と<第1章 社会的共通資本の考え方>を用い、まずその考え方を確認し、ベーシック・ペンションと結びつける要素・要因を確認したいと思います。
社会的共通資本とは
まず、宇野氏が提起する「社会的共通資本」の定義と特徴について、以下に抽出しました。
1)一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
2)一人ひとりの尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たす。
3)私有ないし私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準に従って管理・運営される。
4)純粋な意味における私的な資本ないしは希少資源と対置されるが、その具体的な構成は先験的あるいは論理的基準に従って決められるものではなく、あくまでも、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められる。
5)(言い換えれば)分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件である。
6)決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。
7)その各部門は、職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規範に従って管理・維持されなければならない。
どこか、憲法の一部を読んでいるように感じさせるところがあります。
そして、社会主義の匂いも感じさせるところも。
でも読み進めると、れっきとした資本主義経済論であることも分かってきます。
3つの社会的共通資本
先の定義および特徴に基づいて社会的共通資本を、以下の3種類に分類し、その分類における資本の例をあわせて示しています。
1.自然環境:大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌など
2.社会的インフラストラクチャー:道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど社会資本ともいう
3.制度資本:教育、医療、金融、司法、行政などの制度
この分類とそれを構成する個々の資本を一つ一つ確認しながら、もう一度、上記の定義と特徴を確認すると、理解度・納得度が高まるのではないでしょうか。
もちろん、それぞれの望ましいあり方が、現在の社会では実現されていないこと、あるいは、どうも誤った方向・方法になっている、あるいは向かおうとしていることにも気づくでしょう。
そして、長引くコロナ禍の経験を通じて、よりその基本的なあり方の大切さを感じ、コロナ後に追求し実現すべき形を今から論じ、共通の課題として整理する必要があることにも、です。
そう。
コロナ禍以前に、ずっと断続的・継続的に生起する想定外の、しかしすべてが想定内の日常化した自然災害や大規模自然災害をもたらす地球温暖化・異常気象・環境破壊も同じです。
そして、提示された個々の、とはいっても、すべてがとても大きく、困難な課題なのですが、その項目、すべてについて必要であることを。
ゆたかな社会と5つの条件
こうした「社会的共通資本」を論じる上で、宇野氏は、それが「ゆたかな社会」を実現する上で必須のものであり、そこでは、5つの基本的条件を必要とするとしています。
ゆたかな社会とは
すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力を充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(熱望・願望)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。
この社会は、次の5つの基本的諸条件をみたしていなければなりません。
1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
4)疾病、傷害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平に配分されるような経済的、社会的制度が整備されている。
この内容には、少々面映ゆさを感じ、理想がすぎると思うのは私の心がねじれているためでしょうか。
美しさやゆたかさ、調和、最高水準、効率的、衡平性・・・。
こうした情緒的、あるいは場合によっては計数・計量的に基準を決めることが難しい課題については、広く社会に問いかけ、提示し、共通の理解を得ることはとても大変だと思うからです。
資本主義の変遷と社会的公共資本の考え方誕生の経緯
宇野氏は、基本的に経済学者ですから、経済視点での社会的共通資本論は、社会主義との比較を前提としつつも、資本主義経済体制における課題として論述を進めていきます。
しかし、歴史的にその経緯を細かくたどると、当論の主旨から遠ざかっていきますから、極力簡単にここは済ませたいと思います。
資本主義と市場経済の枠組み
まず、この項目だけはしっかり押さえておきます。
・資本主義の制度的特徴とは、資源配分と所得分配とが市場機構を通じて行なわれること。
・その市場機構とは、すべての財・サービスの生産および消費が私的利益の追求を目的として行なわれ、市場を通じて交換されることを意味することから、資本主義は、市場経済制度の働きと密接に関連する。
・市場経済の制度的前提として、生産、消費の過程で必要になってくる希少資源、例えば、土地、建物、工場、機械設備、さらには労働などの生産要素に加え、それらを使って作り出される住宅、耐久消費財その他の財・サービスも原則として私有され、個々の経済主体に分属される。
・そして、それぞれ所有者ないしは管理者の私的な利益追求の対象となっている。
・それが市場経済の制度的前提である。
新古典派経済学、ケインズ経済学、反ケインズ経済学が解決できなかった課題
上記の原則に従いつつ、歴史的変遷を経て、「新古典派経済学」、「ケインズ経済学」「反ケインズ経済学」と、資本主義が根源的に抱えている問題を大きく捉えてみます。
それは、先述の「資源配分と所得分配」への適切な解決方法を見いだせず、むしろその問題が、大恐慌や資源配分のあり方の偏りなどにより格差や貧困など社会問題を拡大し、加速化していることが顕著になっていることです。
その間、市民の基本的権利としての居住・職業選択の自由、思想・信仰の自由という市民的自由の享受という自由権思想が進み、加えて、生存権の考え方も広く問われることになり、それ故に一層それらの問題が強く認識されてきていることが理解できるでしょう。
ケインズ経済学とその叛意
例えば、ケインズ経済学が前提としていたのは、生存権の保障は、基本的には、所得の再分配を通じて、事後的に救済することを暗黙裡に行うことを前提としており、市場経済制度が根源的にもたらすであろう社会的不安定性を低めるような制度的条件を求めるものではなかった。
それは新古典経済学を超克できなかったこと、特に所得の分配に関しては乗り越えることができなかったことを意味します。
反ケインズ経済学としての新自由主義と政治的新保守主義
一方、1960年代半ば以降、ベトナム戦争の影響もあって、インフレ、失業、国際収支の悪化という米国のトリレンマと市場の不均衡の拡大などでケインズ主義的な財政・金融政策が有効性を喪失。
それによって勢いを増した反ケインズ経済学は、マネタリズム、合理主義経済、サプライサイドの経済学、合理的形成仮説などの多様な形態をとるなど新古典派経済学をより極端な形で展開。
具体的には、
・政府の経済的機能に関して極めて制約的な性格を求める。
・希少資源の所有形態、生産主体に関してもっぱら私的な性格を求め、政府ないし公共部門の果たす機能をできるだけ狭く限定して、自由な分権的な配分機構の果たす範囲をできるだけ広く拡大しようという政策をとる。
こうして1970年後半以降、レーガン、サッチャー、中曽根、小泉そしてトランプ、ジョンソン、安倍・菅等新保守主義的政治指導者による政治経済政策が拡散・加速し、継続され、今日のさまざまな問題の拡大、加速を招くことに。
現在広く話題かつ問題とされている新自由主義に至っているわけです。
(安倍・菅にそこまでの深い経済的考察、経済思想的背景があるとは思えませんが。あるのは復古保守思想だけで、自助・公助・共助の本質的な意味も、深い考えなどないでしょう。)
社会的共通資本要請の必然
こうした歴史の捻転をなんとか是正し、より人間的な、より住みよい社会をつくるためにそうしたらよいか。
この問題を経済学の原点に返って考えようという意図のもとに作り出されたのが「社会的共通資本」の考え方である、と位置付け、意義付けすることになります。
コロナ禍により、新たな社会的共通資本の確立が求められる時代に
そして、こうした時代背景に追い打ちをかけることになったのが、各国そしてグローバル社会に大きな爪痕を残すに違いない新型コロナウイルス感染症、パンデミックです。
宇野氏が本書でも主張した、社会的公共資本の重要な要素の一つ「医療」が直接的な課題でした。
しかし、その影響は、医療のあり方を包摂しつつ超越し、経済全体、そして当然、すべての社会的公共資本のあり方を見直し、新しい思想と仕組みに再構築すべきことを、それぞれの国と地域の課題として、そしてもちろんグローバル社会共通の課題ともすべきことに及んでいるわけです。
その要求と必然を主張する事例として、検討したのが、親サイトhttps://2050society.com で
・『人新世の「資本論」 』
・『資本主義から脱却せよ~貨幣を人びとの手に取り戻す~』
・『いまこそ「社会主義」 混迷する世界を読み解く補助線 』
の3冊を用いて展開した考察シリーズです。
但し、どの書も、さまざまな問題を拡大、拡散するばかりの資本主義と資本主義経済を批判し、その代わりとして社会主義の再定義と実現を図る提案書です。
私は、その社会主義的な考え方を社会保障制度や基本的人権面から、資本主義社会においても実現させたい、実現すべきと考える者です。
そのつながりとして、あるいは、その軸として「社会的共通資本」の考え方を支持したいと考えているわけです。
なお、その3つの考察シリーズのすべての記事リストを、最後に掲載しています。
お時間があれば、確認頂きたいと思います。
社会的共通資本に必要な管理運営と政府の役割
今回の最後に、一応社会的共通資本に理解が進んだとして確認しておくべきこととして、先述の項目にあったように、それが、
・それぞれの分野における職業的専門家により、専門的知見に基づき、職業的規律に従って管理、運営される。
・政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準に従って行なわれるものではなく、フィデュシアリー(受託者・被信託者)の(信用上の、信託の)原則に基づいて信託されている。
としていることを取り上げておきたいと思います。
そして、そこでの以下の政府の役割、機能をしっかり認識しておくことにします。
・社会的共通資本は、そこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足に際して、重要な役割を果たすものであり、「社会」にとって極めて「大切な」もの。この「大切な」資産を預かって、その管理を委ねられる時、それは単なる委託行為を超えて、フィデュシアリーな性格を持つ。
・社会的共通資本の管理を委ねられた機構は、あくまでも独立で、自立的な立場に立って、専門的知見に基づき、職業的規律に従って行動し、市民に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。
・政府の経済的機能は、さまざまな種類の社会的共通資本の管理、運営がフィデュシアリーの原則に忠実に行なわれているかどうかを監理し、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするもの。
・制度主義経済体制における政府の経済的機能は、統治機構としての国家のそれではなく、すべての国民が、その所得、居住地などの如何にかかわらず、市民の基本的権利を充足することができるようになっているかを監視するものである。
・さまざまな社会的共通資本の組織運営に年々、どれだけの資源が経常的に投下されるかによって政府の経常支出の大きさが決まる。
・他方、社会的共通資本の建設に対して、どれだけの希少資源の投下がなされたかということによって、政府の固定資本形成の大きさが決まる。
・このような意味で、社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公共部門の果たしている機能を経済学的に捉えたものである。
その記述と考察の一部は、先の3冊を題材とした最後に書き添えた記事で確認頂けるのではと思っています。
なお、本書の第2章以降は、以下の構成になっています。
第2章 農業と農村
第3章 都市を考える
第4章 学校教育を考える
第5章 社会的共通資本としての医療
第6章 社会的共通資本としての金融制度
第7章 地球環境
いずれも、社会的共通資本とされている個別資本です。
今回はこれらは割愛し(一部、農業や教育などは、親サイトで必ず取り上げます)、次回、この社会的共通資本と、当サイトが提案する日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金制度とのつながりについて、今回の内容と関連させながら取り上げたいと思います。
ぜひ、引き続き関心をお持ち頂ければと思います。
<『人新世の「資本論」 』が描く気候変動・環境危機と政治と経済>シリーズ
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◆ 脱成長コミュニズムというユートピアは実現可能か:『人新世の「資本論」 』が描く気候変動・環境危機と政治と経済-4(2021/5/1)
<『資本主義から脱却せよ』から考える社会経済システム>シリーズ
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<『いまこそ「社会主義」 』から考える社会経済政治システム>シリーズ
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◆ 資本主義、社会主義、民主主義をめぐるこれからの10年、20年、30年を考える:『いまこそ「社会主義」 』から考える社会経済政治システム-4(2021/5/25)
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