「地域格差」対策にも有効なベーシック・ペンションとその多機能・多目的性:『新型格差社会』から考える分断・格差抑止のBI論-4
家族問題を軸にした社会問題をこれまで取り上げ、パラサイト・シングルや婚活などの用語を用いて問題提起してきている山田昌弘氏が、コロナ禍で加速する格差を、新しい型とした新著『新型格差社会』(2021/4/30刊)。
以下の5つの種類に区分しての格差論を対象として、ベーシックインカム、ベーシック・ペンションと結び付けて考えるシリーズを進めています。
1.家族格差 ~ 戦後型家族の限界
2.教育格差 ~ 親の格差の再生産
3.仕事格差 ~ 中流転落の加速
4.地域格差 ~ 地域再生の生命線
5.消費格差 ~ 時代を反映する鏡
ここまで
◆ 「家族格差」拡大・加速化対策としてのベーシック・ペンション:『新型格差社会』から考える格差・階層社会化抑止のBI論-1(2021/5/8)
◆ 「教育格差」対策としてのベーシック・ペンション:『新型格差社会』から考える格差・階層社会化抑止のBI論-2(2021/5/10)
◆「仕事格差」対策としてのベーシック・ペンション:『新型格差社会』から考える分断・格差抑止のBI論-3 (2021/5/12)
と進み、今回第4回目は、<地域格差>がテーマです。
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<第4章 地域格差~地域再生の生命線>から
この章は、以下で構成されています。
・地域格差の広がりと必要性の低下
・首都からの転出超過
・ライフステージの場があるか
・高学歴者の出身地
・土地の「勝ち組」「負け組」
・地域コミュニティ消滅の果て
・「住宅すごろく」が機能しない
・富裕層の脱出と貧困層の滞留
・教育と年収と地価の関係
・「助ける余裕がある人」と「助けを必要とする人」
・自己責任論がつくる階級社会
・マイホームがあっての「パラサイト・シングル」
・ひきこもり100万人の日本社会
・「点」から「面」」への地方再生
・地域格差も多様性がカギ
その文字面だけを見ると、地方にとってのハンデキャップだけが強調され、コロナで一層それが増しているかのように感じさせられるようですが、決してそうではありません。
三密という言葉も、長引き、再三再四の緊急事態宣言が発出される中、なんとなく影が薄くなってきているようですが、大都市部の「密」状態に比して、地方の「密」はある意味、真逆の状態にあると言えます。
ゆとりのある生活空間、緩やかな人間関係と接するその密度の緩やかさ。
都市とローカルでのリモートでの関係は、仕事においても、種々の情報アクセスや教育においても、目的に応じたレベル・質で維持・形成・確立できるようになりつつあります。
ならば、地方は、それと表裏一体、セットで用意され、自ら整えたライフスタイルに組み込むことが可能になります。
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新型コロナウィルスが都市と地方にもたらした影響
コロナが都市と地方の関係にもたらした影響。
その最たるものは、テレワーク、リモートワークの当たり前化・浸透による働く場所・生活する場所に対する考え方、価値観の変化でしょう。
長時間かけての通勤時間が節約でき、自分や家族との時間が増えた。
高い地価の都心部にオフィスを持つ必要がなくなった etc.
職住最接近あるいは一体という状況が生まれたことで、働き方・暮らし方に変化をもたらす状況が生まれました。
これは、これまで過疎化や少子高齢化、人口減少等に悩んでいた地方・地域においては追い風となるものです。
かといって、いきなり地方再生・地方創生が一気に進むか、復活するか。
決してそうはならないでしょう。
ある意味では、大都市と地方との棲み分け、使い分けがはっきり行われるのも、今後より想定されることと考えます。
テレワーク環境としての住まいには、家族数や家族の年齢にも対応する広さやインターネットを含む仕事環境、教育環境が不可欠になりました。
また基本的な生活以外の農業や副業、レジャーなど自分なりの価値を見出す生き方・働き方を再考し、それを満たす環境・条件を求めて住む場所を考える人も増えます。
それに、個人や世帯に応じた、その土地なりのコミュニティとしての連携や基盤に関するニーズや価値が合致すればより望ましいでしょう。
以上、地域問題という視点で、一般論的に少し考えてみました。
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すべてが所得格差に発する格差社会論
次に、本章での山田氏の指摘のいくつかをピックアップしてみました。
・「自由な働き方」が選択できるようになった結果、東京都から人々が流出し始めた。
・地域に大切なのは、全世代に応じた、さまざまな「場」だが、中でも代替が難しいのが、<教育>と<医療>。
・しかし、10年後には、「東京=教育に強い」という構図も崩れていく可能性がある。
・単なる人口増減だけでなく、文化・産業的な「勝ち/負け」が、土地や地方に生まれている。
・コミュニティの変化・変質を招いた大きな変化は<移動の自由>と<通信手段の自由>。
・従来の「30代で戸建てマイホームを手に入れてゴール」という「住宅すごろく」ゲームが成り立たなくなった地域コミュニティ。そこでは、従来の「地元意識」と、新しい移住者の「コミュニティ意識の希薄さ」の間に大きな溝が発生した。
・「教育格差」が将来にわたる「経済格差」につながりかねない。
・<教育>と<年収><地価>は密接に結びついている。
・ボランティアや地域活動というのは「助ける余裕がある人」と「助けを必要とする人」が両者がいて成り立つ。
・2000年頃に成人し、非正規雇用で人生をスタートし、そのまま不安定な生活を続けていた世代が、2021年現在、子を持つ親の年齢になっており、多くが、親の家に同居する「パラサイト・シングル」化している。
・就職氷河期が、現在のひきこもり増加にも関与し、ひきこもり100万人社会の要因の一つになっている。
本書のテーマが格差だけに、なんとしても格差が広がる、大きくなるという視点での指摘が目立つ感があります。
地域格差も、本質的には、地域内における貧富の格差、地域間での格差両面が課題として存在します。
しかし、根っこを手繰れば、これまでの家族格差、教育格差、仕事格差、そして今回の地域格差すべて、個人個人間の所得格差に発するもの。
それらが複合的・複層的に絡み合うことで、格差が長期化、固定化かつ世代を超えて受け継がれ、「階級社会」化するリスクをもたらすことを筆者は強調していると言えます。
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地方の位置付け、価値付けが変化していくこれからの時代と社会
そして、この章の最後をこうまとめます。
今後もしも過疎化対策を望む地方コミュニティがあるならば、<多様性>を無視することはできません。
移住者は必ずしも旧来通りの、男女夫婦に子どもが二人といった「定型世帯」ばかりとは限りません・
リタイアした高齢者世帯、若い夫婦、幼い子どもがいる家庭、思春期の子を持つ世帯、単身者、外国人、両性カップル、養子を育てる家庭、貧困家庭、さまざまな人々が移住してくるかもしれないのです。
すなわち、いいとこ取りだけ願うことにはムリがあり、さまざまな動機・目的を抱いて移り住む人々が存在し、それを認め、快く受け入れるべき、というのです。
実際に、離島や山間部などに移り住むことになった人々や家族・世帯を取り上げ、紹介するテレビ番組を見ていると、精神的な問題を抱えて訪れた地が、子どもに、あるいは大人本人に合っていたので、という例が多いですね。
あるいは、家族や友人の故郷がそうであったという話も。
これまでも、種々のメリットを提示して、特定の世代の移住を求めて活動してきた地方も多数あります。
今後は、コロナの感染リスクが低いことに加え、医療や教育・保育面での不足・不安への対応も整備・拡充し、インターネット環境を整備した住宅の提供や自然環境のPRなど、SNS等も活用しての息の長い取り組みが必要と考えます。
すなわち、個人個人の生き方と関係する格差問題への対応も必要なのですが、こと地域格差となると、筆者によると地域コミュニティのあり方が課題となります。
しかし、この地域コミュニティという概念・観念は非常に曖昧で、かつ時に危ういものです。
そこを十分に認識し、ものごとに関わる必要があります。
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<地域格差>抑止に有効なベーシック・ペンション
地域再生・地域創生問題の起点は、過疎化・高齢化、人口減少・少子化です。
もう永く言われ続けてきたことで、一時の地方再生・地方創生ブームが、去ったと言うか、ある意味その活動が定着したと評価すべきか。
最近では、取り上げられる機会が減っています。
例えば、「ふるさと納税」や「特区」などで、それぞれの取り組みや一部問題はありましたが、成功事例などはボチボチ。
これらの問題は、やはり行き着くところは、地方経済の問題であり、地方行政のあり方になります。
もちろん人口減少がその軸になるのですが、それも地方財政の豊かさ・貧しさ、地方の所得と生活上の豊かさ・格差で問題が集約されます。
こうなると、やはりベーシック・ペンションの出番が考えられます。
ベーシック・ペンションは、地域差なしで、全国の個人個人に一律に支給されます。
大都市と地方の物価の差を反映するものではないため、ある意味、地方の方が、JBPC(ベーシック・ペンションデジタル通貨)の使いみちがある、価値があると言えるかもしれません。
地方で生活している人に有利な制度という側面があります。
ただ食料品や衣料・日用品など基礎的な生活コストは全国さほど大きな違いはないでしょう。
医療・介護保険制度も全国均一。
とすると最も価値があるのが、住宅費にJBPCを充当する場合になるかと思います。
また、このJBPCは、使うことができる事業所は認可制です。
基礎的な生活に使うことを前提・目的としたJBPCであり、まだ提案はしていませんが、その地域の事業所を重点的に利用するように、認可基準を設定することも一案としてあります。
すなわち、地域外の事業所・企業の利用を制限し、その地域の経済の活性化と安定、地域内経済循環を方針とするやり方です。
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ベーシック・ペンション(生活基礎年金)とは
このシリーズで毎回提示していますが、理解を深めて頂きたいと思いますので、今回も以下転載しました。
1.すべての日本国民に、個人ごとに支給される。
2.生まれた日から亡くなった日まで、年齢に応じて、無条件に、毎月定期的に生活基礎年金(総称)として支給される。
3.基礎的な生活に必要な物品やサービスを購入・利用することを目的に支給される。
4.個人が、自分の名義で、日本銀行に、個人番号を口座番号として開設した専用口座宛に支給される。
5.現金ではなく、デジタル通貨(JBPC、Japanese Basic PensionCurrency)が支給される。
6.このデジタル通貨は、国の負担で、日本銀行が発行し、日本銀行から支給される。
このベーシック・ペンションは、以下のように年齢・年代別に毎月定額がデジタル通貨で支給されます。
1.0歳以上学齢15歳まで 児童基礎年金 毎月8万円
2.学齢16歳以上学齢18歳まで 学生等基礎年金 毎月10万円
3.学齢19歳以上満80歳未満まで 生活基礎年金 毎月15万円
4.満80歳以上 高齢者基礎年金 毎月12万円
その年金は、以下の必要費用として利用できます。
(生活基礎年金の限定利用)
第11条 生活基礎年金は、日本国内に限って利用できる。
2.また、第3条の目的に沿い、主に以下の生活諸費用に限定して利用できる。
1)食費・住居費(水道光熱費含む)・衣類日用品費等生活基礎費用
2)交通費・国内旅行費、一部の娯楽費
3)入学金・授業料・受験料、教育費・図書費
4)健康関連費・市販医薬品
5)医療保険・介護保険等社会保険等給付サービス利用時の本人負担費用
3.前項により、JBPC利用時は、マイナンバーカードまたは決済機能アプリケーション付き指定端末を用いて、支払い決済を行う。
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地域コミュニティの原点は地方自治体という認識から
先述した、「地方コミュニティは<多様性>を無視してはいけない」という指摘の後、筆者はこう最後を結びます。
(略)
「公助」の充実はもちろんですが、ともに助け合う精神が今一度、盛り上がることがあってほしいと思っています。
(略)
今や、「一億総中流社会」時代ではありません。
「日本の貧困」をイメージできない人は、まだまだ多い気がします。
本当は気づき始めているけれど、心では認めたくないという本音がそこに隠れているのかもしれません。
(略)
できるならば、多様な価値観を持つ人々が同じ土地に住まい、「お互い様」の精神で、少しずつ可能なことを行い手を差し伸べる、そんな共存から始まる「地域社会」を実現できれば、と私は切に願っています。
こういう感覚・内容の提案をする学者・研究者、ジャーナリストをよく見かけます。
私は、基本的にこうした善意に頼るものを提案とは評価していません。
「お互い様」で補完できる「貧困」対策や社会福祉的活動には、安定性・持続性はありません。
地域間格差が発生する可能性も非常に大きく、かつばらつきがあります。
地域社会というコミュニティに、その義務履行を求める雰囲気を作り、持たせることにも疑問を持ちます。
政府が言うところの独善的・強制的・抑圧的「共助」の世界です。
これにシンパシーを持つ、感じる学者のなんと多いことか。
御用学者的スタンスと私は見ています。
もちろん、筆者も、前提として「「公助」の充実はもちろん」だが、と但書きを添えてはいます。
しかし、根本的な格差の抑制に効果がある「公助」とは、一体どういうものか、筆者は、正面から取り組み姿勢も内容も示しません。
それがあった上でという前提・仮説での「善意のコミュニティ」願望論は、乱暴論・無責任論です。
ここで地方自治体が実行できる「公助」には自ずと限界があります。
地方自治体の財政の貧富という最も現実的な格差問題が横たわっているからです。
コロナに拘らず、ずっと日本の政治行政と社会が抱えている問題です。
国は、その配分の權利を手放すことはありません。
こうした時に唯一寄与できること。
それが、国費として全員に、都市・地方居住どちらにも関係なく、平等に給付するベーシック・ペンションです。
これが、地方行政と地方経済の基盤として役立ちます。
その安心の上での、善意の(行政ではない)コミュニティが機能するのが望ましい。
そう考えます。
ここでは、国という社会が、一つの大きなコミュニティ機能を持ち、ベーシック・ペンションが地方自治体というコミュニティを機能させるベーシックな要素となるのです。
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学者・研究者の格差問題への取り組みのモデルを!
私が取り上げてきている、現在のベーシックインカム論の多くは、経済学者による経済至上主義的観点からのものです。
しかし山田氏のような社会学者による格差問題や種々の社会問題に関する提案・提言では、どちらかというと経済的・財政的観点からの突っ込んだ指摘や具体的な提案は見られません。
仮にあるとすれば、ほとんどが、財政規律、税と社会保障の一体化、というゼロサム社会または公的扶助削減主義を前提としてのものばかり。
国民・住民の税を財源として所得を得ている公務員的な発想と行動に留まるのです。
果たして、それが偏った見方・考え方と否定・批判し、そのことを納得せしめる提案や行動を実践している研究者がどの程度、どこに、どんな人がいるか。
いらっしゃれば、是非とも名乗り出て頂くか、どなたか教えて頂きたいと思います。
その目的は、そうした方々と、なんとか有効な活動を広げていきたいと考えているからです。
次回は、最終回<第5章 消費格差ー時代を反映する鏡>を対象とし、総括を加えます。
※<山田昌弘氏執筆関連書>
『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫)』(2007/3/1刊)
『結婚不要社会 (朝日新書)』(2019/5/30刊)
『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?~結婚・出産が回避される本当の原因~ (光文社新書)』(2020/5/19刊)
近く、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』を取り上げて投稿する予定です。
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